TGVで南仏アヴィニヨンへ行った話
8月半ば、パリを脱出し、南仏のアヴィニヨン、マルセイユ、イエールを旅してきました。
3月末に日本へ一時帰国する予定だったのが、コロナ禍で行けなくなり、夏にイギリスの知人を訪ねようにも厳しい状態で、「もう国内を旅するしかない!」と、ササッと行ってきました。
アヴィニヨンへは、パリの『Gare de Lyon ギャー•ドゥ•リヨン』駅から行きます。高速鉄道TGV(テージェーベー) で行く。
駅で電光掲示板を見つめる人々。自分のホームが掲示されたらホームへ走る。
改札にすごい数の人が押しかけてます。私の車両『Voiture2 ヴォワッチュー2』を目指してスタスタ歩く。2階建ての2階の1等席。
ここでトラブルが!私の窓側の席に、すでにフランス人親子が座っている!別の男性がやってきて「ここは僕の席です」と親子に言うと、「私たちは一緒に座りたいから、隣の一人席に座ってくれる?」と母親が言い、男性は一人席に座った。
私も「すいません、ここは私の席です」と、親子に私のiPhoneのチケットを見せた。母親と12才ぐらいの少年は、固まって私のチケットをジ〜ッと見つめるだけで、何も言わない。親子でコソコソと何か話している。自分の切符は私に見せない。
隣の一人席に座っていた男性が「君はマネージャーと話をすべきだよ」と私に言ってくる。マネージャーの姿も見当たらない。すると男性は隣の車両の友人と話をしてきて「隣の車両が空いているから、僕は移動する。君は僕の席に座りなさい」と、私に一人席を譲ってくれた。
以前も、リヨンーパリ間で、私の席に人が座っていた。英国の列車では全くトラブルがなかったので、フランス独自の問題らしい。
1時間後、女性の車掌さんが切符をスキャンしに来た。少年の切符をチェックした時、車掌さんは少年に長々と何か語っていた。多分、1等席ではなかったのだと思う。車掌さんはしばらく諭すように少年に語り続けてから、去っていった。最初はダブルブッキングかと思ったけど、そうではない。
あの男性と私が、親子が座っている2つの席に座るハズだったらしい。頑なに居座って、正規の切符を持っている2人(私と男性) を移動させてしまった親子。
この列車はパリ始発。始発だからといって油断していると、こういう人たちに席を取られてしまいます。席を離れてくれる人はいいけど、ダンマリを決め込んで動こうとしない人間は困る。
フランスの高速列車の座取りは早めに!
私は、チケットは英語でも予約できるTrainline(トレインライン) というサイトで購入しています。Appもあり、iPhoneで列車時刻を確認できて便利です。
親子は、モンペリエで降りて行った。モンペリエは乗り換えの駅らしく、しばらく停車していて、駅のベンチに座って別の列車を待っている乗客が見えた。
ある女性が、変わった形のリュックサックを背負っていた。女性の父親らしい人が愛おしそうにリュックを眺めている。「赤ちゃんがいるのかな?」と思ったけど、わりと簡易な形。すると女性がリュックを開けて、中から首輪をした猫が出てきた!猫はヒモに繋がれながら、しばらく周囲を散策し、また猫用リュックに戻されていた。
↓ 分かりますか?女性が猫をリュックに戻すところ。
箱入り猫。女性のBFと両親の3人が、猫がうまくリュックに入るか見守っていた。
フランス人は、猫と共にバカンスを楽しむ?
私の斜め前に座っていたカップルは、猫を入れたメッシュの鞄をテーブルに乗せて、女性がずっと嬉しそうに猫を見ていた。フランス人の猫可愛がりっぷりは、半端ではなさそう。
無事にアヴィニヨンに到着。アヴィニヨンでは、自転車で旅をする人をたくさん見かけました。
↓ アヴィニヨン中央駅。駅周辺はさっぱりしていて、行き来しやすい。
↓ 駅前に城壁が登場。アヴィニヨンはローマ帝国時代から続く都市で、城壁に囲まれています。
ホテルは、駅から3分ほどの『Hôtel Boquier オテル•ボキエ』に宿泊しました。
ホテルというより、イギリスのB&Bに近い。オーナーさんがとても親切。静かな裏通りにあってロケーションが良かったので、移動ばかりの私には合ってました。ただアメニティーが少なく、寝るだけには良い感じです。
フランス人老夫婦や家族が、好んで宿泊しているようでした。
オーナーさんからもらった地図を持って、アヴィニヨンを散歩してみる。
サン•ディディエ教会の広場。アヴィニヨンは教会前に広場があるけど、この広場が一番雰囲気が良かった。この大きな木がいいのかな。
世界遺産に登録された「アヴィニヨン歴史地区」があり、古い建物が多いです。
時計台広場にたくさんのレストランが集まり、イギリスから来た若者が "Fuck you, Fuck, Fuck" と友人たちにイキがって喋ってる前を通り過ぎた時、「ああ、観光地だ...」と嫌な予感がした。時計台広場の周辺は、人が多すぎる。
コロナで、この旅行中は中国人を見かけません。大体、アジア人がいません。
なぜかここで、"I hate my life! (私は自分の人生が嫌いよ! )" と大声で携帯で喋るアメリカ黒人女性がいた。なぜ... よりによって世界遺産の前で...?フランスに来てから、周りを気にせず喋りまくるアメリカ人を何度か見る。
夏のアヴィニヨンは、観光客が押し寄せて、どこもいっぱい。コロナで鬱憤が溜まっていたので、欧州人が押しかけている?
8月のアヴィニヨンは避けるべし。
↓ 1309年から1377年の間まで、ローマ教皇が住んでいた『教皇庁宮殿』。このエリアがアヴィニヨン歴史地区として、世界遺産に登録されています。
宮殿内を見学しようと、多くの人が列を作ってます。建物が巨大で、見てるだけでクラクラする。
『Hôtel des Monnaies』17世紀のイタリア様式の邸宅。
観光用のトロッコ列車が出ています。45分で主要なエリアを周るらしい。
『The Tinsmith's Street』ローヌ川の石で作られた通り。
『Hôtel Madon de Châteaublanc』17世紀の個人邸宅。
かつてローマ教皇が住み、カソリックの中心地だったため、街角のあちこちにマリア像があり、宗教的な雰囲気に溢れてます。
サン•ピエール教会の広場前のレストラン。このあたりは細い小道がたくさんあります。
入り組んだ裏通りは、アヴィニヨンらしい。中世の時代、こういう路地を僧侶が歩いていた雰囲気がある。
次は、アヴィニヨンの裏通りについて書きます。
↓ よろしければクリックお願いします。