必見!ちょっとご縁があった石岡瑛子さんの回顧展が凄かった
アカデミー賞衣装デザインを受賞した、故•石岡瑛子の回顧展『石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか』を、東京都現代美術館に見に行って来ました。
石岡瑛子さんは、私がニューヨークにいた時代に彼女の事務所から推薦状をもらったことがあり、個人的に恩を感じています。その話はブログの後半に書きます。
この展覧会は素晴らしく良かったので、
デザイナー/アーティスト志望の若者は、全員見た方がいいぞ!
と強く思いました。特に18-20歳ぐらいの人にとっては、「日本人にもこんな人がいたんだ!」と感銘を受けると思うので、ぜひぜひ、見に行ってください。
↓ 私の他にも、この展覧会をブログで強く薦めている人がいた。
『コロナなんかどうでもいいから石岡瑛子展に行きなさい。』
デザイン志望者は必見!
東京都現代美術館には、初めて行きました。ホテル隔離の最終日に行ったけど、美術館の入場にも、GoToトラベルのクーポンが使えたので驚いた。
展示室内は、写真撮影禁止です。 Tokyo Art Beat に詳しい写真が出てます。↓
最初の展示室には、石岡瑛子が日本にいた時代に制作した、資生堂やパルコのポスター、雑誌『野性時代』の表紙などのグラフィック•デザイン作品が並びます。
1980年代にニューヨークに移住して、映画•舞台の衣装デザインを始めると、世界で頭角を現します。
1987年、マイルス•デイビスのアルバム『TUTU』のジャケットのデザインで、グラミー賞を受賞。日本人として初めてのグラミー賞受賞者です。
1993年には、フランシス•フォード•コッポラの映画『Bram Stoker's Dracula (ドラキュラ)』(ゲイリー•オールドマン、ウィノナ•ライダー、キアヌ•リーブス共演) で、アカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞しました。
↓石岡瑛子さんと彼女がデザインした映画の衣装。
2002年ソルトレイク•シティ冬季オリンピックの競技ウェア。筋肉•靭帯ムキムキ人間のようなボディスーツが特徴的。↓
最後の展示スペースには、オランダ国立歌劇場の『ニーベルングの指輪』のオペラの衣装が並んでいるんだけど、ここが圧巻。ヴィジュアル世界が完璧です。
超ゴシック退廃美。
↓ 別の国で行われた展覧会からの写真。
瑛子さんが亡くなった後、2017年7月、米国のGoogle グーグルは、石岡瑛子の「Google Doodle グーグル•ドゥードル」を発表しました。亡くなった著名人に敬意を表し、誕生日に、その人のミニ漫画をグーグル検索のトップページに載せるもの。
石岡瑛子さんは、2002年に日本の紫綬褒章(しじゅほうしょう) を受章しているけれど、文化勲章は与えられていない。グラミー賞とアカデミー賞を両方受賞し、舞台のトニー賞もノミネートされた日本人なのに、日本での知名度が低すぎる!
それとも、彼女の世界は大きすぎて 日本を超えているので、日本からの賞は必要ないかな?
話は変わり、10年以上前、瑛子さんに私の絵を気に入ってもらえて、石岡瑛子デザイン室から推薦状を出してもらったことがあります。
私はNYの『パーソンズ•スクール•オブ•デザイン』という美術デザイン大学を卒業し、テキスタイル•デザイナーとして、アパレル会社で働いていました。
NYには、ヴォーグやGQマガジンを出しているコンデ•ナスト出版社の『The New Yorker ザ•ニューヨーカー』という文芸誌があります。デザイナーとして働いている時に、私はニューヨーカー誌と契約をして、時々、イラストレーションを描いていました。
ある時、ニューヨーカー誌のアートディレクターMから連絡があり、新作映画のイラストレーション依頼がありました。私は普段はアパレル会社の仕事で忙しいので、その時は特に何も思わず、ただ「個性的なコスチュームの映画だな」と思っただけでした。
それは『The Fall (落下の王国)』という映画でした。
↓ アートディレクターMとのやり取りの後、ニューヨーカー誌に載ったイラストレーション。
2週間後、アートディレクターMが、とあるEメールを転送してきてくれました。それは石岡瑛子デザイン室のロバーツ女史からのメールでした。
その時初めて、あの個性的な衣装デザインは、アカデミー賞をとった石岡瑛子さんのデザインだった事実を知りました。
瑛子さんがニューヨーカー誌を見て、私の絵を気に入り、イラストレーターと連絡を取りたい、とメールしてきたのです。
おお〜、やった〜!🙌 🙌 🙌
ロバーツ女史によると、絵のプリントを譲ってもらえないか、との事なので、喜んで!と返事をしました。その当時、 私は米国の就労ビザからアーティスト•ビザへの切り替えを目指し、デザイン会社の社長やアートディレクターから「推薦状」を集めていました。そこで、石岡瑛子デザイン室に推薦状を書いてもらえないか、と聞いてみました。推薦状の中身は、移民弁護士が書きます。
ロバーツ女史は「よござんす」と承諾してくれました。ただし「瑛子は今シティにいないので、私がサインします」との事でした。
↓ 石岡瑛子デザイン室の推薦状です。どじゃ!
その後、さらに連絡があり、瑛子のデザイン室で働いてみるつもりはないか?と聞かれました。
ええっ!?と仰天。パーソンズ卒業時なら夢のような話だけど、その時私はすでに、「フルタイムで奴隷のように働くことを止めよう!」と決心していました。前の会社のユダヤ人女ボスからトラウマ体験をし、現会社の韓国人ヘビ女ボスからも嫌がらせを受け、うんざりでした。石岡瑛子デザイン室で働き始めたら急に魔法のように全てが変わる、とは思えませんでした。
なので、自分はフルタイム労働を止めてアーティスト活動をするつもりなので、フルタイムで働くことはできないと思う、と話しました。ロバーツ女史は私の話を了解して、瑛子はいつか自分の衣装デザインの画集を出したいと思っている、その時、イラストレーターとしてあなたにも声をかけるかもしれないが興味あるか?と話してくれました。私は、もちろんです!と答えました。
ロバーツ女史は「瑛子は今シティにいないのよ」と何度か書いてたので、「石岡瑛子さんはどこにいるんだろう?」と思っていたら、その時期は、北京オリンピック開会式の衣装デザインのために、北京入りしていたようでした。
数年後、「そういえば、石岡瑛子さんが画集を出すって話はどうなったんだろう?」と思ってインターネットで調べてみたら、なんと、ご本人は膵臓がんのために亡くなられていました。
写真だと瑛子さんは、北京オリンピックの頃に、ターバンのようなものを被っていたので、私に連絡をくれた時は、すでに闘病をされていたんだろうか?と思いました。
↓ 映画の衣装デザインのチェックをする、石岡瑛子さん。
一度もお会いしたこともなく、連絡を取り合ったのも、副社長のロバーツ女史とだけだったけど、私は、サラッと推薦状を出してくれた石岡瑛子事務所には、たいへん感謝しています。
『仕事のできる人』 というのは、このように、ピンときた人間には速攻でコンタクトを取って、パパッと話を進めるのかな、と思いました。
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